「自意識」という鉄の枷から自由になる
自意識というのは非常に厄介だ。
鉄の枷のようなもので、行動を大きく制限する。
自意識が強いと、「こんなことを人に話したら変に思われるんじゃないか。」
「こんな記事をブログに投稿して叩かれたらどうしよう。」とか
「あの人に嫌われたらどうしよう。」とか「こんなファッションで外を歩いて、すれ違う人に変に思われたり笑われたらどうしよう」といつも自分の他人からの評価や評判、視線を過剰に気にしてしまうようになる。
その結果あらゆる行動や行動する意欲が委縮してしまい、人生というフィールドを狭くしてしまう可能性がある。
この自意識も大人になってから特に発達した意識であり、子供のころは人からどう思われるかなんて気にせずにおかしな行動をしたり、ギャグを大声で叫んだり、突飛で奇抜なことをしまくったりしただろう。
ふざけて注目を集めることはむしろ子供の仲間内では称賛される行為だったし、人の目なんて気にせずに自由にふるまっていただろう。
大人になると分別も出来てしまうので、自意識もやはり発達し、他人への配慮や、自制心もあいまって自意識が過剰になってしまう人も多い。
しかし実際には自分が政治家や芸能人や俳優といった皆が注目する有名人でない限り、誰も自分のことなんてそんなに気にも留めていないし、気にしていない。突飛なことをしたとしても意外に他の人は何とも思っていないものだし、仮に一時的に思ったとしても2,3日もすれば忘れているだろう。
皆自分の生活や趣味、仕事勉強、付き合いでいっぱいっぱいだし、他人のことをいちいち気にしてずっと覚えている余裕なんて無いのだ。
実際、仮に思い切って変な行動をしたとしても、意外なほど周りの反応が無くてびっくりすることのほうが多いと思う。叩かれるとか奇異に見られる以前にそもそもその前段階の反応すらないことが多いのだ。
これは行動する際の気楽さを高めてくれるだろう。誰も注目をしていないんだから変なこと思い切ってやってみてもいいと思えるようになるのだ。
確かに安倍総理やトランプ大統領、メルケル首相、あるいは浜崎あゆみや木村拓哉、ジャニーズといった政治家、有名芸能人については、その一挙手一投足まで注目され、些細な言動ですら、叩かれたり、あるいはその逆に褒められたりするだろう。
しかし政治家でも芸能人でもない一般人のことなんて誰も一挙手一投足を注目していないし、自分なんかに大層な価値なんてないのだと開き直ることである。
自分なんて本当にとるに足らず、たいした存在じゃないと思うことが出来れば、逆に開き直れて気楽な気持ちになり、色々なことに自由に挑戦出来て、自由に言ったりふるまうことが出来、人生というフィールドを大いに広げることも可能なのである。