ハイデガーの存在論的差異 「存在」はそれほど自明ではない
哲学者のハイデガーは存在についての究明探求を行った。
その思想のキーワードは「存在論的差異」である。
リンゴが机の上に置いてあるとする。
人はこの光景を見て無意識的に、特に深く考えることは無く「机の上にはリンゴがある。」と思うだろう。
しかしリンゴという物自体と、そのリンゴが「存在する」というその存在能力はまた別モノではないか?と問いかけたのだ。
今までの哲学者はこの存在能力を自明のものとしてしまい、存在を寧ろ忘却していると批評した。
「存在論的差異」は、リンゴという物そのものの「存在者」とそのリンゴという存在者を存在者たらしめている「存在」の区別について、今までの存在論は忘失してきたと問題提起を行うのである。
「存在者」と「存在」はそもそも別次元で異なる、つまり「差異」があると提起した。
つまりリンゴというモノの存在者を成立させている「存在」そのものの条件や能力や定義づけ、意味について探求を行った。これがハイデガーの存在論である。
仮にリンゴに存在能力が無くなり、全くの「無」になったとする。
そうするとそのリンゴは誰からも認識されることなく綺麗に消えることになるだろうが、そこからどのような存在の能力や条件が与えられると存在者として存在するようになるのか。
そのような存在の能力や条件は興味深いところである。