ポモドーロテクニックは現代人に最適な学習の時間管理法
学習する際の時間管理法にポモドーロテクニックというものがある。
ポモドーロはイタリアでトマトを意味し、タイマーで25分を測り、その間はひたすら中断せずにタスクを続け、25分後に5分程度の小休憩をする。
その1セットを4回程度繰り返す。そして長めの休憩を取る、というものである。
この手法が何故有効かというと、人の集中力はそんなに長く続かない、そしてツァイガルニク効果が発揮できる、の2点からだ。
人間は長いこと集中できると自分では思っていても、60分ですら集中が持たないことが多い。
これは本能的に考えると当然で、狩猟していた祖先の人類が狩りをする時には外敵も多いし、常に集中を分散させていないと命に関わったからだ。だから何かに取り組んでいても、ある程度時間が経つと他に注意を取られたり他のことを考えてしまう。
次にツァイガルニク効果とは一旦始めたものは未完了状態となるので、緊張感が持続してできるだけ完了してしまいたい、という心理が働くことである。
ポモドーロテクニックによって最初は気分が乗らずに小さく始めたタスクでも、「始めた」という事実によりそのタスクは未完了状態になり、ツァイガルニク効果が存分に働いてくれる。しかも25分を何回も繰り返すことで、やるたびごとにその心理効果が発揮される。
また現代人の時間感覚にもあっているという事である。
今や現代にはスマホが普及したことにより、待ち時間やちょっとの隙間時間でもスマホを見たりして時間を消費できる。そのために時間の感覚は昔に比べ、より細切れ単位になっている。
よって学習もポモドーロテクニックのような細切れな時間管理のほうが、スマホによって細分化された時間感覚に合うようになっている。
ただ集中力の持つ時間や、やりやすい単位時間というのは人によってそれぞれなので、ポモドーロテクニックの25分プラス5分休憩にとらわれずに、カスタムメイドすることをお勧めしたい。例えば25分でも長いという場合は、15分プラス5分休憩の2セットとするなどである。あまりにも時間が無い場合も15分だけのセットはやりやすい。
25分では短いという場合は30分にするのもキリが良くて良いかもしれない。
ウォーキングはコスパ最高の運動法
ウォーキングはコスパが最高の運動法であり、健康法であると言える。
まずジム等と違ってウォーキングには一切費用が掛からない。ノーコストだ。
そして場所を選ばずにいつでも行うことが出来る。人目が気になるようであれば深夜に外をウォーキングすることも出来るし、室内でも同じ場所をぐるぐるずっと歩き回るだけでウォーキングと同じ効果になる。
筋力トレーニングと違い体力もいらず、老若男女問わず人を選ばない。そういう意味で万人に平等な運動法であるともいえる。
またウォーキングはいわゆる有酸素運動であり、体内へと酸素を取り込み脂肪を燃焼してくれる。これはダイエット効果になる。
更に、ウォーキングは足の裏の神経を刺激するので、それが脳を活性化させる。さらに歩くことで筋肉量の多い大腿筋をよく動かすため、身体の血流がかなり改善され、脳への血流も増えるので、二重に頭が冴えることになる。
最後にウォーキングにより、幸せホルモンであるセロトニンが分泌されるので気持ちが明るくなり、落ち込んでいた時でも気分が前向きになりやすい。
以上のことより、まさにウォーキングは一石三鳥の効果があると言え、お勧めできる運動法であり、健康法である。
脳はやれば出来る怠け者 追い詰められれば出来る
どんな人の脳も、本気を出せばなんでも出来る凄い能力を秘めているのに、脳は隙あらばすぐに怠けて楽をしようとする。
夏休みの宿題をやるに当たり、1か月近くも余裕があるからと何もせず、直前までほおっておいて最終日近くに慌てて取り組んで泣きを見るという経験をした人は結構居ると思う。
しかしそんな時でも追い詰めらていることもあり、火事場の馬鹿力で無理だろうと思うたいへんな量でもこなせてしまえたりする。
これはテスト直前の一夜漬けとか、なにかの課題や仕事の締め切り直前の追い込みの時もそうである。
何故火事場の馬鹿力が発揮できるかというと、締め切りで追い込まれると脳内でノルアドレナリンという交感神経の神経伝達物質が放出され、それが心拍数や血圧を上げて意識の覚醒水準を上げまくってくれるからだ。
しかし、難点は心から追い込まれていないとノルアドレナリンが分泌してくれないということだ。
締め切りまでまだ余裕があるけど、念のために今からやっておこう、くらいの意識だと意識しても全然ノルアドレナリンは放出されない。
締め切り直前にはあれほど長時間集中して大量にこなせたはずのことも、余裕があるときは取り組んでもなかなか集中が出来ず、量もこなせずだらだらしてしまいがちだ。
余裕があるときは脳が追い込まれておらず、脳が省エネを図ろうとするのだろう。
余裕があるときには意識のエンジンは低調のままだから、少量をこつこつと継続してこなす、という戦略にするのが解決策かもしれない。
文を書くことはカタルシス
たとえメモ書き程度や日記程度の文章でも実際に自分の手で文を書く、あるいはパソコンで文をタイプするというのは、脳の情報整理が自動的に行われる結果となるのか、カタルシス(浄化作用)の気分を得ることが出来る。
脳の情報整理というだけでなく、自分の中の感情整理をも行われ晴れた気持ちにもなる。
これは自分の中にあるものを文として吐き出すことにより、主観的にもやもやしたものが客観視できるようになる、それに伴い不安が収まることが関係しているんじゃないだろうかと思う。
何か悩みを抱えている人が他人に相談をし、その他人が解決策を提示しなくとも
話すだけで気分が冷静になって客観視でき、自分自身で解決してしまうことが多いのに似ている。
この「他人への相談」という箇所が文を書くということで代行になるのだろう。
他人へは相談しにくい内容だったとしても、自分だけが閲覧できるパソコンのメモ書きに心情を吐露して書き出せば解決策につながる可能性もあり、効果は高い。
文を書くことは脳や感情の情報整理だけでなく、脳の快のカタルシスを味わうことが出来る。
この快感は結構大きく、これを味わう為だけに文章を書き連ねたり、支離滅裂になってもぼんやりメモ書きしまくるのが習性になる人も居る。
if-thenプランニングを効果的に用いる方法
if-thenプランニングという目標や習慣達成のための技法がある。
これはどういう技法かというと
「(if)Xしたら(then)Yする」と決めることでYを達成しやすくできるというやり方だ。
なぜならば、脳はXしたらYするという認識や命令形式に反応しやすいようである。
逆にいつかしようとか、あるいは行動を始める合図である(if)Xを特に事前に決めていなかったり、漠然としたままだと目標を始める切り口をなかなか脳が認識できず達成しにくくなる。
脳の判断の迷いという意志力の浪費を防ぎ、条件(if)が来たらすぐに脳がifを認識し、目標への行動に移ることが出来るので、かなり効果が高い方法だ。
しかし注意点として条件であるifをかなり精緻に決めてやる必要がある。
たとえば晩御飯を食べた後に資格試験の勉強をする、あるいは腕立て50回行うというif-thenプランを立てたとしよう。
晩御飯を食べた(if)は確かに開始条件にはなっているが、晩御飯を食べた後歯も磨かずに行うのか、あるいはテレビを少し見た後でも良いのか、後とはどれくらいあとなのか、という判断の迷いの材料が結構ある。
これでは脳の意志力を判断の迷いで浪費してしまう事になり、開始が難しくなってしまう。
そこで最も効果的な条件のifの設定は開始時間を決めるというやり方だ。
23:10になったら資格試験の勉強を行う、あるいは20:00になったら腕立て50回を行う
このように時刻を条件にしてやると、判断の迷いようがない。
時刻は数字なので誤魔化しがきかず、その時間が来たら開始すると脳が機械的に認識できるからだ。
ハイデガーの存在論的差異 「存在」はそれほど自明ではない
哲学者のハイデガーは存在についての究明探求を行った。
その思想のキーワードは「存在論的差異」である。
リンゴが机の上に置いてあるとする。
人はこの光景を見て無意識的に、特に深く考えることは無く「机の上にはリンゴがある。」と思うだろう。
しかしリンゴという物自体と、そのリンゴが「存在する」というその存在能力はまた別モノではないか?と問いかけたのだ。
今までの哲学者はこの存在能力を自明のものとしてしまい、存在を寧ろ忘却していると批評した。
「存在論的差異」は、リンゴという物そのものの「存在者」とそのリンゴという存在者を存在者たらしめている「存在」の区別について、今までの存在論は忘失してきたと問題提起を行うのである。
「存在者」と「存在」はそもそも別次元で異なる、つまり「差異」があると提起した。
つまりリンゴというモノの存在者を成立させている「存在」そのものの条件や能力や定義づけ、意味について探求を行った。これがハイデガーの存在論である。
仮にリンゴに存在能力が無くなり、全くの「無」になったとする。
そうするとそのリンゴは誰からも認識されることなく綺麗に消えることになるだろうが、そこからどのような存在の能力や条件が与えられると存在者として存在するようになるのか。
そのような存在の能力や条件は興味深いところである。
レコーディングとワンクッションは習慣付けにおいて強力な組み合わせ
ウォーキングであったり、ジム通いであったり、ないしは筋力トレーニング、資格試験の勉強、読書習慣、語学の勉強、あるいはダイエット等々。
私たちには自分の人生や生活の目的の達成のために、何かを習慣付けて継続したいと思い立つことが多々ある。
しかし、「三日坊主」という言葉があるように、大抵ははじめだけで結局続かないことが多い。
脳というのは変化を非常に嫌う。
よって新しい習慣付けをしようと思っても、途中で面倒になったりやる気が起きなかったりして、それが妨げられてしまう。
寧ろ新しい習慣付けが成功するのは稀であるとすらいえるかもしれない。
では、自分の継続したい習慣付けを成功させるにはどのような手段が有効だろうか。
これには、レコーディングとワンクッションの組み合わせが非常に有効である。
レコーディングというのは非常に単純で、その習慣付けを行った日には手帳でもスマホのレコードアプリでも何でも良いので、その日の日付にチェックなり〇なりを入れて毎日記録してレコードするだけである。
これにより、後で見返したときに、自分の成果を客観視でき、週ごと、月ごとのチェックや〇のトータル数も客観的に数字でカウントできるので、モチベーションが保てるようになりやすい。
もしこの記録付けをしなかった場合、自分の成果が数値化されず、客観視できないので霧の中をさまよっているような感じで、自分の主観で目的地までの距離を測るしかなくなる。
それが不安感や、あるいは目的地まで長すぎるので今日やっても焼け石に水で無意味だという無力感につながり、継続に失敗してしまう可能性が高くなる。
レコーディングは一切お金は掛からないし、手間もかからず一瞬で終わる単純作業なのでやりやすいのも良い。
これにワンクッション置くという技法を付け加えてやると更に成功率が高くなる。
たとえレコーディングで日々の成果を数値化しても、やはり習慣をするのが苦痛になる日というのは多々あるし、その脳の苦痛の直感によって何となく嫌になり、継続が途絶えてしまう事もあり得る。
それを防ぐためには、ワンクッション置いてやることが有効だ。
これはどういうことかというと、週に2日か3日は習慣をやらない日を設ける、あるいは一日ごとに習慣をするという方法だ。
その日行う習慣にかなり苦痛を感じたとしても、翌日はやらなくていい、あるいは週にやらなくて良い日が2,3日はあると分かっていれば、その苦痛にも耐えられる確率が高くなる。
やらなくても良い日があるという気楽さや余裕が習慣の継続を長引かせてくれるのだ。